■本名はBurton Leon Reynolds Jr.。インディアンとイタリアの血を引く警察署長の父の下に生まれ、フロリダで育つ。フットボールの奨学金を得て州立大学に進みハーフバックとして活躍。プロからの誘いもあったが突然の自動車事故で膝を痛めて断念。NYで2年間用心棒などをしていたが演劇に興味を示すようになり、帰郷後ジュニア・カレッジで演技を学ぶ。その後奨学金を得てNYの演劇学校で更に勉強。チャールトン・ヘストン主演の舞台に出演中、ユニヴァーサルに認められて契約。TVシリーズ「ガンスモーク」に62年からレギュラーとなって多くのシリーズで主役を演じた。61年の「奇蹟の天使」で映画デビュー。当時...から自らスタントもこなすアクション・スターとして活躍し、TVショーなどにも頻繁に出演して陽気な性格で親しまれたが72年、女性雑誌『コスモポリタン』にオール・ヌードを掲載した以降はマッチョなタフ・ガイとして人気も急増。74年の「ロンゲスト・ヤード」はこの頃の代表作となった。76年の「ゲイター」から監督業にも挑戦。「シャーキーズ・マシーン」では意外に切れのいい演出が話題となり、俳優としてもマネー・ランキングのトップに君臨するなど全盛期を迎えた。しかし次第に人気が薄れてノイローゼ気味のところにAIDS疑惑の噂が広がり一時休業した時期もあった。89年からTV「シャドー・コップ」シリーズで復活を果たし、ポルノ映画の監督に扮した97年の「ブギーナイツ」ではついに各映画賞に輝くことになった。私生活では65年に離婚後、ダイナ・ショア、ドヌーブ、サリー・フィールドにテニスのクリス・エバートなどと噂が絶えなかったが88年にロニ・アンダーソンと再婚。しかし93年に離婚し巨額の慰謝料を請求され、97年には破産宣告を申請して話題になった。10年に心臓のバイパス手術を受けていたが18年9月にこの世を去ってしまった。