■本名はGloria Josephine May Swenson。父は陸軍大尉で、仕事柄フロリダやプエリトルコなどを転々として育つ。14歳の時の叔母に連れられエッサネイ社のスクリーン・テストに合格。その6ヶ月後にはハリウッドへ赴きマック・セネットと共に“海水着美女”として多くの作品に出演。17年にはトライアングル社に移る。その後セシル・B・デミルに認められ「夫を変へる勿れ」を皮切りに瞬く間にスターの仲間入りを果たし、25年の「ありし日のナポレオン」ではフランス滞在中、ホテルのワン・フロア総てを借り切ったほど。翌年には週給2万ドルという驚異的な出演料を獲得した。徹底した菜食主義を貫き、野菜の支払い...だけで月1000ドルを越えたなど、さまざまなゴシップが毎日のように新聞に載ったという。26年には独立プロを設立。「港の女」、「トレスパッサー」でアカデミー主演賞候補となった。しかし次第に人気が低迷。事業にも手を出しながらも映画や舞台に出演し続けたが結局成功はしなかった。が、48年にTVショーに出演した彼女を見たビリー・ワイルダーが、あの「サンセット大通り」に招き入れ、3度目のアカデミー候補になる。その後74年の「エアポート'75」で再び復活するなど、最後までスターへの執着を忘れなかった女優であった。結婚はウォーレス・ビアリーなどと計6回。83年、老衰のために死亡した。