■「愛すれど心さびしく」のオーディションに2000人の中から選ばれ映画デビューし、アカデミー助演賞にいきなりノミネートされる。しかしその後伸び悩むものの、76年「アウトロー」に出演してイーストウッドとの名コンビ振りで再注目され、以降イーストウッド作品の常連だけでなく、私生活でも同棲生活を送る。だが89年、二人の仲が破局を迎えた時に慰謝料と、86年の監督作「ラットボーイ」の製作時のバックアップを約束しながら実行しなかったとしてイーストウッドを提訴。その後和解はしたものの第一線から姿を消してしまった。