■本名はPaul Leonard Newman。父は町一番のスポーツ用品店の経営者という裕福な家庭に育つ。12歳でクリーブランド・プレイハウスの児童部に入る。以後、スポーツにも励んでフットボールの選手として活躍。やがて戦争が勃発し三年間軍隊に身を置く。除隊後の46年、ケニヨン・カレッジに入り、50年にはイェール大で演劇科を専攻。52年からアクターズ・スタジオに入学(同期にはジェームズ・ディーン、マーロン・ブランド)。ブロードウェイの『ピクニック』で注目され、WBと契約。54年、「銀の盃」で映画デビューを果たす。以後は、アカデミー主演賞ノミネート7回。製作、監督に乗り出した「レーチェル レーチェル...」で作品賞ノミネート1回。待ちに待った主演男優賞が86年「ハスラー2」で1回。その前年には名誉賞を受賞。また93年には自らオーナーを務める食品会社(サラダ・ドレッシングやミート・ソースは日本でも購入可能)の純益の寄付に対してジーン・ハーショルト友愛賞を受賞。レーサーとしての活躍も有名で、77年のデイトナで5位、79年のル・マンでは2位となった。反戦反核運動にも積極的でブラック・リストに載ったことも。58年ジョアン・ウッドワードと再婚。前妻と合わせて6人のこどもがいる。晩年においても俳優活動を続け、その存在感は健在だったが、2007年5月に出演したTV番組で老齢による演技力の低下などを理由として俳優引退を発表。08年には肺ガンで闘病中との報道がなされ、病院でのガン治療から本人の希望によりコネチカット州の自宅で療養生活を送っていたが、同年9月、惜しまれつつこの世を去った。